読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シリア難民支援 NGO職員のブログ

トルコ南東部でシリア難民支援に携わっている者のブログです

自由が血を流したとき

ラッカ出身のシリア人

自由ではなかった、自由ではなかったけど幸せだった。やりがいのある仕事に就きながら、大学院にも通えていた。 家族もバラバラにならず、全員大きな家で一緒に住めた。友人も親戚も沢山いた。今は誰もいない。会える人が誰もいない。未来もない。目の前の今しか目に入らない。誰が戦えと言った、誰も頼んでいない。勝手に自分達で好きなだけ血を流せばいい、関係のない人間、しかも子供を、巻き込むな。自分達だけ安全な場所に逃げて、そこから自由自由と声高に叫ぶな。そんなに自由が欲しいなら今すぐにでもシリアに戻ってから言え。

トルコ出身のクルド人

自由が欲しい。自分のためにだけじゃなく、母を守るために自由が欲しい。投獄や拷問、虐殺の恐怖に怯えない自由が欲しい。自分の言葉と歴史を学べる自由が欲しい。己の出自を恥じなくても良い自由が欲しい。もう口を噤みたくない。もう疲れた。自由のためにならいくら犠牲を払っても構わない。いくら血が流れても構わない。声を出さなければ、何か行動を起こさなければ、一生何も変わらない。家族のしがらみがなければ、PKKに入っていると思う。

 

図らずとも「自由」に対して全く違う見解を同時期に聞いて、たまらない気持ちになったので、どちらも書き留めておこうと思いこの記事を書きました。アメリカでも日本でも、私が育った場所では基本的には自由が認められていて(ある程度報道や言論の自由等には疑問が残るけど)、自由が「ない」状態が、今でも想像が出来ない。ただ、自由のために何百万人もの血が流れ、今でも流れ続けているのは事実。上記2つの、どちらかの立場を選べ、と言われた時に答えに窮してしまったら卑怯だろうか。いずれにせよ、大人の都合で子どもが血を流すべきではないとは心の底から思う。